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世界の家庭を語る会

島田勝弘 の 超えられるか異文化の障壁
NO.11 Master(主人)に奴隷のように仕える日本人婦人たち

人は偏見で異文化を考え、異文化を味わいます、と先月号で書きました。今回は言葉の問題から来る悲しい実例を2、3挙げてみましょう。30〜40年前(そして今でも)、世界中はWomen's liberation(女性解放運動)で喧々ごうごうたる時でした。私が英語を理解する日本人であることが分ると、知的な女性は必ずこの例を出して、「husband(夫)をmaster(主人)と呼ぶ日本では、未だに女性の社会的地位は隷属的なのですね?」と、聞かれました。「主人」を英語にするとmasterになります。Masterは奴隷に対して主人、労働者に対して使用人、犬に対して飼主、という意味があります。
その頃の私は、いや今でも、即座に英語で反論することはかなり困難でした。私の稚拙でゆっくり話す英語を忍耐強く聞いてくれる人なら、ある程度弁明できますが、通常の議論の場では唇をむらさきにして涙をのむ以外どうすることもできませんでした。

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次のような例を話題にした西洋人の男性もいました。
「日本を訪問した際、日本の友人がその家庭に招いて食事をご馳走してくれました。」これは、以前にその日本人がオーストラリアを訪問した時に、彼らがその家庭のディナーに招いてくれたお礼だとのことです。東京では外国の友人が来ても、なかなか家に招きませんが、昔の日本では遠来の友を家庭のご馳走に招くのは通常のことだと思われます。
彼らはシャブシャブをご馳走してくれました。しかし、奥様は台所と食事のテーブルの間を食器やお料理を運んで行ったり来たりしていたので、このオーストラリア人の客は決してご馳走を口にすることはありませんでした。ご主人が「どうぞ、どうぞ」と無理に客に勧めて食べだしたので、客も仕方なく食べました。
オーストラリアに帰って来て、そこに住んでいた私に彼は「日本の家庭料理はとても美味しくて、忘れられないものでした。しかし、もっと忘れられないのは、日本の婦人が未だ家庭でservant(召使い)の地位にあることです」と、言いました。
英語圏では食事をする時、「いただきます」と言って各々食べる習慣がありません。家族全員がテーブルについて、お祈りをして食べるか、クリスチャン家族でない場合でも、全員が座らない限り、絶対に食べ物を口にしません。食事の時立っているのはservantだけだからです。



もう1つ面白い例をしばしば経験しました。
私が「日本人は刺身といって、魚を生で食べるのですよ。これは、最高に贅沢な食事ですよ」と言うと、女の人などは、ゲーとゲロを吐くジェスチャーをします。今でこそ寿司屋が世界中に広まって刺身を知っている人も少なくありませんが、私が「raw fish」と訳して言うと、皆、ゲロを吐くまねをします。
それは原始人が、採った魚をそのまま頭から食べるイメージだからです。刺身は「processed raw fish」と言うべきでしょう。
似た例で、sea weed(海草)があります。これも皆、ゲーとジェスチャーします。Weedは雑草という意味です。


2番目の例は、習慣の違いから来る価値観の相違であり、良くて不可解なもの、更には人々は、啓蒙されていない非文明的な、と蔑視します。

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最初の例は単に言葉の問題ではなく、バックグランドの考え方、思想の問題にもなってきます。
「日本の女性は男性に隷属的である」と言われて、皆さんはどうやって反論しますか。考えてみてください。このことについて私の考えを述べるとすると、別の1章を設けなければなりませんが、私の考えでは、2つの文化圏に住んでみて、必ずしもそれがあたっていないわけでもないと言うことです。
「奴隷の幸せ」という言葉があります。「偉大な王に仕えることのできる奴隷は幸せである」という意識です。決して今の境遇を不幸に思っていないという意識。

意識はどうにでも変わるので、ここに1つの数字を出しますので皆さんで考えてみて下さい。
最近の日経新聞によると、国会議員に占める女性比率が、日本の衆院では7%ばかりで、181カ国中134位。欧米主要国に大きく後れを取るばかりでなく、アジアの平均も下回ったそうです。ちなみに一位は48.8%のルワンダ、2位は45.3%のスウェーデン、3位は38.0%の9デンマークとのこと。

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