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世界の家庭を語る会

島田勝弘 の 超えられるか異文化の障壁
NO.13

経済第一主義の日本、エコ第一主義のNZ 私が日本国の独裁者になったら、、、


私たちは例会ごとにニュージーランド人からニュージーランドについての話を聞いています。同時に私もニュージーランドに興味を持つ以上、ニュージーランドの出版物に眼を通します。そして、ニュージーランドについて学んだり、話題を楽しんだりしながら、実は無意識のうちに日本について考えています。ニュージーランドという国はどんな国だろうと考える時、それは「日本と比較して」という意味であると同時に、日本とはどんな国だろうと考える時、「他国と比較して」考えるのは当然だろうと思います。富士山が近くではその姿が良く見えず、遠く離れてその全容が見えるように、日本も又、離れて(外国に行って)見るか、他国を知ることによって、その特徴が見えるように思われます。ニュージーランドの話を聞いたり学んだりしながら、日本との2つの驚くべき違いに気がつきました。

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第一は違いというより程度の差ですが、スポーツに対する恐るべき競争心と情熱です。日本でも最近ではサッカーやラグビー、野球で熱狂する人々はいますが、その比ではありません。職場でも、家庭でも、そしてパブだけでなく、町をあげて、州をあげて、国をあげて、ラグビーやヨットのアメリカス・カップで話題が渦巻きます。
オーストラリアに行った時も、ニュージーランドに行った時も、この熱狂にはびっくりしました。人間である以上、他を出し抜きたいという競争心や闘争心もあり、征服欲もあります。武力で他国を征服できなくなった日本は、経済力と政治力で世界の大国となりたいとあがいています。経済力はむろんのこと、国連の常任理事国になって世界に影響力を与える大国になりたいと願っています。日本ばかりでなく、中国などもそれを願っていますが、より政治的大国になって何が幸せなのでしょう。米国を見ているとそう考えざるを得ません。しかし、それが人間の性なのかもしれません。
オーストラリアやニュージーランドを見ていると、政治的、経済的征服欲よりも、スポーツの上での征服に夢中になっているような気がします。人間の競争心や闘争心、そして征服欲を見事にスポーツに転化している国、それがオーストラリアやニュージーランドだ、と私には思われます。


第二の違いは、自然に対する人々の考え方の違いです。日本でもEcologyのエコというキャッチコピーは盛んに使われています。美しい自然を持つ美しい国、日本、と自負しています。しかし、ニュージーランド人の自然に対する姿勢と比較すると、日本人の自然に対する考え方が如何に貧しく、ごまかしかが分かります。日本には美しい自然があり、それを守らなければならないという意識はありますが、世界で最も強力な米国文明が頭の中でモデルになっているのか、ハイテクとコンクリートの文明が最も先進的な文明であるという先入観から離れられないようです。
自然との共生などといっても、山を切り開き、高速道路を日本中に張り巡らして、町に高層ビルを林立させることが先進的な文明国であり、経済を活性化することだと信じています。都市でも地方でも、人工的な建造物を造ることが日本経済を発展させることは確かです。GDP(総生産)が昨年よりどれだけ大きくなったかどうか、経済の専門家は一喜一憂します。総生産量が増加し、国家として強大になっても個々の人間が幸せになるとは限りません。
法律学の土台に法哲学というのがあります。経済学の土台に経済哲学というのがあります。つまり、何のために法律や経済が工夫・改善されねばならないかを考える学問です。答えは一言で言えば、人々がより幸せになるように法律を考え、経済を考えることです。とすれば、巨大な経済国家が、必ずしも個々の人々を幸せにするとは限らないのは、米国の例を見ても分かります。経済は私たちの生活を物的に豊かにする学問です。私はここで物は必要でない、精神が大切だ、などと主張するつもりはありません。人類が生存する限り、物質的により豊かに、そして、テクノロジーを使ってより便利になることを欲しています。しかし、今の日本では、経済の発展のために消費の喚起という理由で、これでもか、これでもかと口をこじ開けて無理に食べさせているようなものです。


話は変わりますが、私は持病のアトピー性皮膚炎の治療のために、毎年山奥の源泉のある温泉に湯治に行きます。昨年は新幹線で八戸まで行って、そこからバスに2時間程乗って、八甲田連峰の麓にある野地温泉というところに1ヵ月半逗留しました。お尻の下からボコボコとお湯が湧いて出て来る温泉に1日2度浸かって、本を読み、物を書いて、天気の良い日は連峰の頂上に向かって、熊しか通らないような道を2〜3時間歩きます。
そこは文明の利器である自動車の音も臭いもしません。空気の味も臭いも音も東京で経験するものとは全く異質のものでした。うぐいすの鳴き声と木々のざわめきと透明な空気の味と、ただそれだけです。しかし、そのぶなの林の中を一人で歩いている瞬間は、私の人生の中で最も幸福感を持つ一瞬でした。
一方、宿から下界に向かって7、8分歩くと県道に出ます。自動車は5分に1台ぐらいの割合でしか通らないのに、そこの空気の味も木の葉の色も、化石燃料の臭いが充満していました。都会のコンクリートの林の中でガソリンの燃料を呼吸している私たちは、それらの全くない自然だけの世界の味とそこで生活する幸福感を忘れてしまっています。

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ニュージーランドでは政府に自然保護省(DOC)という省を創ってある程で、自然の保護に関しては、日本とは比較にならない程の並々ならぬ熱意を持っています。美しい自然のあるところは、自動車も入れず、トレッキングコース(trekは"歩いて行く""牛車で旅行する"の意)をこの省がニュージーランド中に12,000キロも造って管理しています。私がオーストラリアに住んでいる時、ユースホステルクラブに入会して、現地の若者たちと活動しましたが、ユースホステルの活動とは、主にブッシュウォーキングとそれに関する知識を得ることでした。日本ではユースホステルというのは、都市にある安い簡易宿泊所というイメージですが、豪州では山奥にある小屋で、そこで火を焚いて食事をしたり、団欒し、又、後をきれいに片付けて出て行く、というのが私たちの活動でした。オーストラリアの国立公園の膨大な部分は、私たち観光客は知りませんが、自動車も禁止され、ただ歩くだけで、鳥獣(自然のコアラやディンゴーという野生の犬)や森林が保護されています。これを 'RESERVE' と呼んでいます。
ニュージーランドではもっと徹底しています。写真を見ても分かる通り、国立公園の大部分の地域や都市の近郊以外のビーチは建物はむろん、人工的なものを何一つ造らせません。手つかずの自然そのものの美しさを残そうとしています。
自動車の禁止地域だけでなく、野鳥の保護区 'SANCTUARY' と呼ばれるところは人間の侵入も限定して、自然を保護しているところもあります。例えば、ティリティリマタンギ島は、年間35,000人しか入島が許されず、ニュージーランドに元々住んでいる鳥や動物たちを繁殖させ、原生自然林を復活させようとしています。ここでは紙数がないので多くの例を挙げることはできませんが、今想い出すのは、30年前にニュージーランドでキャンピングツアーをしたことです。15日間20人ばかりがバスに乗って、テントに寝、野外で食事をしながらニュージーランド中を20人の人々が一つの家族になって、自然の中にどっぷり使って楽しみました。これも私の生涯で忘れられない一コマです。
日本でも最近アウトドア活動が盛んになってきましたが、30年前でもこのような旅のかたちも当たり前でした。


美しい日本と言いながら、自然の中に様々な建造物や道路を造り、'自然との共生'、'地球への愛'、'エコ'などというキャッチコピーは、オーストラリアやニュージーランドと比較すると、そらぞらしく、商業主義や経済第一主義が見え見えです。
こんな妄想を私は懐いています。もし、私が日本国の独裁者になれたら、日本の国立公園の中は、自動車の乗り入れを禁止し、交通は馬車か歩く以外は許可しない、という法律を創りたいと思います。そうすれば、政治的にも経済的にも小さな国になっても、美しい幸せな日本が復活すると思います。

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