いよいよ英語修得術の最終章に来ました。ここでは私の考案した英語修得術から離れて、本題の原点に戻りたいと思います。
異文化を理解することが如何に難しいかは、昨今のキリスト教国とイスラム教国の戦争を見ても分かるのですが、ここで私の小さなそして珍妙な経験を2、3述べ、考えてみましょう。
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日本を離れて外国で生活すると、面白い経験をして、改めて異文化を考えさせられるということは、皆さんにもよくあることと思います。
オーストラリア滞在中、友人の家にディナーに招かれた時のこと、その友人が招いた他の人に―その人はヨーロッパから来た中年の女性でしたが―「私は日本から来た」と自己紹介すると、突然に "
I have been to Hong Kong"と言って、その旅の楽しかった事を話し出しました。
一般に私が日本人であることが分かると、京都や奈良、新幹線に乗った旅の思い出を語ることが多いのですが、いきなり香港について語りだしたので、怪訝に思いましたが、そのときは相づちを打って会話ははずみました。
後でよく考えてみると、彼女は日本の首都は香港であると思っていたようでした。
理由はあとに述べますが、日本と取引をするビジネスマンや、学者をのぞいて一般の人のレベルでは、日本に関する知識の高さは、西洋人の中では、ヨーロッパ人はオーストラリア人やニュージーランド人と比較するとかなり低いようです。
しかしオーストラリアでは又こんな経験もしました。
10年にわたるオーストラリアでの教師生活を終えて1970年に帰国、オーストラリアの経験を生かして現在のTESS英会話スクールを設立、学校も順調に発展したので1995年に妻かおると結婚し、友人のオーストラリア人のアレンジで、メルボルンで2番目に大きい大寺院Capuchin
Father Churchでファーザー・ルシアーノという神父さんに結婚の儀式と礼拝をやっていただきました。100人以上のオーストラリア人の信者と、私のメルボルン時代の友人が参列してお祝いして下さいました。2人の人生で最も華やかで幸せな一瞬でした。
ところが、オーストラリアから出国の時・・・・・、私達、妻の兄弟など家族も一緒にオーストラリアに来ていましたが、シドニー観光も終え、シドニー国際空港の出国のゲートでパスポートチエックの時です。私だけがパスポートを取り上げられ、腕をとって個室に連れて行かれ、上司と思われる役人に引き渡されました。
彼は私のパスポートを見て「そこで待ちなさい」と言って私を椅子に座らせ、私に背を向けてコンピューターをカタコトと操作し始めました。飛行機出発時刻の30分前でした。15分たちました。まだ私に背を向けてコンピューターを操作しています。20分たちました。まだ背を向けています。私は段々心配になり、「どうしたんですか? もう時間がありません、、、」と言うと、ただ「待ちなさい」という言葉が返ってくるだけでした。5分前、4分前、、、じりじりした気持でいる私にやっと振り返って、菊の紋のついている日本国パスポートを私に渡しながらこう言いました。
''You ask detail at Australian Embassy in Beijing''
「え!」 何のことか分かりませんが、とにかく成田行きの飛行機の待っている搭乗ゲートに突っ走りました。飛行機の中にはすでに妻も彼女の兄弟も待っていました。「日本に帰れる!」とにかくホットしました。
「北京のオーストラリア大使館で詳しいことを聞け」とはどういう意味なのだろうと、飛行機の中で考え続けました。12時間後成田に到着する頃、やっとその意味が分かりました。それはオーストラリアの出入国管理局の役人は日本国の首府は北京だと思っていたのでした。
何故、係官は私と会話せずコンピューターに向かっていたのか。
北京のオーストラリア大使館で何を聞けというのだろうか。
オーストラリアに10年間滞在したということは、私に長期滞在して日本語をオーストラリアの学校で教えて欲しいと教育省が要求したので、オーストラリア政府は私に移民ビザ(労働ビザ)をほぼ自動的にくれたのでした。
その後大量のベトナムからの難民を受け入れ、その他アジアからの移民が増加するにつれ、失業、失業補償の莫大な増加、犯罪の増加などが社会問題化し、移民の法律が段々厳しく改正され、一年以上国を離れた者は自動的に移民ビザが剥奪されるという法律の条項が付け加えられました。私はこのことを当然知っていました。私はすでに日本に生活の基盤を作っており、結婚後も日本で生活する決意をしていました。
しかし出入国管理局の役人にとっては、アジアからの移民や難民からその滞在資格を剥奪することは、きっとその人が(私が)怒り、叫び、泣き、暴れることが当然予想されることでした。従ってこの役人はそのことを宣告せず、背をむけて演技でコンピューターを飛行機出発5分間まで操作しているふりをして、帰国してから大使館に言わせようとしたのだと考えられます。
国と国との間を人々が行き来したり定住することで、 いろいろな問題が発生することを考えさせる、個人的な経験でした。
新婚旅行に出る前に、旅行会社の尾上氏とも相談し、航空券やホテルの予約と同時にそのことを予想して、観光ビザもとっていただきました。その時尾上氏から結婚のお祝いに大きな夏みかんのケーキをいただいたことを今でも憶えています。
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