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「東照宮ワンダフル、金閣寺ワンダフル、ビッグブッダワンダフル」と言って日本を見て回る外国人がいても、それは本当の日本じゃないよ、と言いたくなるでしょう。
私は英語を習っている生徒によくこう言います。海外旅行をする時、単に美しい景色や名所を見てくるのではなくて、その国の普通の人々と話してくること、できれば仲良くなってくること。そして、その人たちの家の中、トイレ・台所・ベッドルームなどを見てくることを勧めます。トイレは使わせてもらえばよいし、台所は使ったコーヒー茶わんなどを持って行けばよいし、ベッドルームは何気なく話題にすれば、頼まなくとも「お見せしましょう」と言い出します。
これが文化の違いなのです。私の場合は、オーストラリアでの経験が主ですが、米国ではこの傾向がもっと強いようでした。日本ではどんな豪邸に住んでいても、上記の三つは客に見せたくないところです。豪華な応接間に通しても、他の場所に喜んで通すことはありません。ところが向こうでは、黙っていても客に台所やベッドルームを見せびらかしたがります。自分で作ったベッドカバーやちょっとした自慢のコレクションなどがベッドルームに置いてあります。
英語圏に人々は、よそ行きの顔より自分の生活の方を重要視します。自分の人生を犠牲にして何かをするということは美談でなく愚かなのです。家で最も金をかけるところはトイレ・台所・ベッドルームなのです。
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今から30年程前、最初にオーストラリアに赴任した頃の思い出です。
南オーストラリア州アデレイドの公立高校で日本語の教師をやっていた時のこと、同僚のオーストラリア人が、自分の家に招いてくれました。勤務先の学校から家まで車で60分くらいの郊外、というより牧場の中の一軒家でした。車の中で「羊が何頭、牛が何頭、馬もいるよ」と自慢話をしていました。
当時、外国に行きたい夢を持っている日本の若者たちにとって、米国のニューヨークやロスのような先進的な大都会に行くのが憧れでした。ですから、日本からきた若者が、どこかの紹介で田舎の家にホームステイすることになってしまうとがっかりし、「オーストラリアって何て遅れた国なんだろう」とケチをつけるのが普通でした。私も「このような牧歌的自然をたまに訪れるのはリラックスしてよいけれど、こんな田舎に住みたいとは思わないな」と考えながら、彼の家に着きました。

リビングルームには大きな暖炉があり、田舎ですから事欠かない薪で部屋を暖めてくれました。電気とガスですべてをカバーしてしまう東京の生活から、この部屋に入ってきて何とも昔懐かしい気持ちがしました。
しかし、彼が私をキッチンに案内してくれた時、びっくりしました。正方形の大きな部屋をぐるりと囲んで、ボタン一つで暖めたり煮たりできるシステムキッチンになっていました。ガスコンロや古いタイプのオーブンなどもなく、白い面で作られたキャビネットで囲まれた真ん中に、開拓時代のごつい作りの木のテーブルと椅子があり、妙なコントラストになっていました。
これがオーストラリアの金持ちでも貧乏でもない少し知的な中産階級の若者、例えば高校教師のような人々の憧れのライフスタイルのあらわれなのです。
その憧れとは、
" 田舎に帰って自然の中で生活すること。
" 伝統を日常に活かした生活をすること。
" しかし、最先端の技術も取り入れて、生活を快適にすること。
この地で生活し、同世代の人々と交流しないと分からないことですが、こういった考え方は彼らのあらゆる面で表れていました。
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30年前のその頃、オーストラリアでは住宅や高速道路の建設で自然が破壊されることに対して、猛烈な反対の市民運動が盛んで、私もたびたび署名させられました。一方、日本では自然を破壊して、新幹線や高速道路や高層ビルの建設途上でした。
最近では日本でも、住居にとって一番大切なところは、キッチンであるという考えが浸透してきたのでしょう、システムキッチンの設置されたマンションもたくさん売り出されています。若者の間にも、自然回帰の意識は少しずつ広がっています。自然保護や伝統を守ろうとする市民運動もあちらこちらで見かけます。技術の面では先進国の日本も、意識の面で後進国だった日本が意識の面での先進国オーストラリアに少しずつ近付いてゆくのをまざまざと感ずるこの30年でした。
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